頭のいい子が育つ

ユダヤ人の教え(他人より優れろではなく、他人と異なれ)

ユダヤ人には、子育てをする為にあたって、我が子が他の子よりどれだけすぐれているかではなく、どれだけ異なっているかを重要視する伝統があります。

このように、個々の『違い』を認め、尊重するような子育てなら、子どもを一つの枠にあてはめることもありません。元来、子どもは好奇心が旺盛なものなのですから、枠をあてがいさえしなければ、自らどんどん世界を広げて行くはずです。そのためにも、このユダヤの教えは、常に心に留めておいたほうがいいでしょう。

早いうちから、碁師やトランプに触れさせよう

かっては碁師だった人が、こんなことを語っていたことがあります。

小学校にはいる以前から、碁好きの父のかたわらで碁盤を覚えた。しかしそれだけではなく、なぜか小学校校以来、算数、数学の問題で解けない問題はなかったというのです。

将棋の例と同様、これは、高川氏だけの特殊例ではなく、じつは誰にでもありうることです、しかも、将棋と共通の効用の他、碁は、より幼少期の子どもに適するという特徴があります。というのは、幼児期の頭脳にとって、最も重要ななのは、前にも触れたように、あるものを分析したり区分けしたりして理解するのではなく、一つの固まりとして全体的、直感的に把握する『パターン認識』の訓練ですが、碁石は、そのための絶好の材料となるのです。碁石は、黒と白という対照がきわだった二種類だけの石でできており、しかもその形・厚さはすべて等しく、碁盤も同様のマス目の繰り返しです。パターン認識の訓練にとって、何より必要なのは、こうした単純さであり、その単純な要素の組み合せによって、無数のパターの変化には、数学の基盤になる精密な論理性があるのですが、それを論理によらず直観的に把握する訓練が、知らず知らずのうちにできるというわけです。もちろん、碁を知らなくても、碁石遊びでも十分こうした効果は認められます。環境作りの時にも触れましたが、この碁師のように自然に碁に親しめる状況を作ってやるのもいいでしょう。また、トランプにも、同様の直感力を育てるような活用法があります。それは、神経衰弱です。ご存知のように、伏せられた五十二枚のカードの中から、同じ数のカードを当てていくゲームですが、大人と子どもが一緒にこのゲームをすると、たいてい子どもに軍配が上がるということがよくあります。子どもが、この碁のゲームに大人が舌を巻くほどの能力を示すのは、カードの位置を個別に分析的に覚えているのでなく、全体的に一つのまとまりのパターンとして把握しているからだといわれます。つまり、大人は、『右すみの三番目』とか、『中央付近にあるやや斜めになった札』などという覚えかたをしますが、子どもは、全体の配列を一つのパターとして直感的にそなえているのです。だから、考えるというより反射的に札の位置を当ていきます。こうした、いわば動物的・本能的ともいえる能力は、大人になるにつれ、他のさまざまな知的能力に押され、影を薄くしていきいますが、それでもまして子どものころ、この種の訓練を十分に受け止めた子どもは、直感的能力や記憶力にすぐれたものをもちつずけるようです。少なくとも、大人ならそれこそ本物の神経衰弱になりかねないほどの精神集中を必要とするこのゲームが、子どもの頭脳に強い刺激を与えないはずはありません。直感的把握を、すぐに動作や行動に移していく機敏性を養うのにも効果があるといえるでしょう。むろん、分析的に個久のカードに位置を覚えるとしても、よい頭脳訓練になることは間違いありません。

sin3's Ownd

しんさんと申します。なにげにホームページなどを作成してみました。まだまだ、へたくそですが、どうぞゆっくり、して行ってくださいな。( ̄^ ̄)ゞ(*^-^*)ノ~~マタネー

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